箱庭の日々

 顕現して間もない刀剣男士はこの世のことに疎い。しかし順応性は高く、覚えてしまえば勝手知ったるようにあらゆるものを使いこなせる。
本丸を構えてすぐの頃は、先人がまとめた刀剣男士に関する報告書を片手にてんやわんやの日々だった。だが今は古参の者が新入りに教授してくれるので、わたしの手間はだいぶ減った。
この日も新入りがやってきた。まだ警戒が解けていないようで、頭こそ下げているが視線はわたしの動きを探っている。聞けばこの刀剣男士――へし切長谷部はかつて戦国の魔王の元にあったそうだ。
「ええと、へし切、長谷部?」
「はい」
「わたしがここの本丸の主です。よろしくお願いします」
「はっ。貴女様の命とあらば、何でもこなします」
 ぞくり。わたしの身体が震えた。
 自慢の切れ味を現すかのような冴えた瞳がわたしを見つめる。もうその双眼に警戒の色はない。どうやらわたしは彼の新しい主として認められたらしい。
 いつもは挨拶を済ませた後は古株の刀剣男士に任せるのだが、わたしは傍に控えた近侍と、目の前のへし切長谷部双方に言った。
「へし切長谷部、わたしの近侍をしてみませんか?」
 驚いたのは傍にいた近侍で、「主?」とわたしに問うてきた。へし切長谷部はきょとんとこちらを眺めている。
「たまには、初心に戻ってみるのもいいかなと思ったの」
 もっともらしい返事をすれば、納得したように近侍は下がり、部屋はわたしとへし切長谷部の二人だけになった。おそるおそる、へし切長谷部がわたしに尋ねる。
「あの、主。俺の待遇は他の者と違うのでしょうか」
「本丸のこととか、色々なことを教えるのは他の刀剣男士に任せていたんだけど、初心に戻ってわたし自ら教えるのもいいかなと思ったの」
 わたしの言葉にへし切長谷部の瞳がきらりと光る。
「主自らに教えていただけるとは、ありがたいです」
 そう言って、へし切長谷部は恭しく頭を下げた。
 まずは本丸の案内から。わたしの部屋から始まり、広間や寝所、台所や外の馬屋などあちこちを二人で歩き回る。へし切長谷部は歩調を乱さない。常にわたしの後ろに付き、何かあれば即座に抜刀できるよう身構えていた。
 へし切長谷部の、なんと頼もしいことか。それを口にすると、へし切長谷部の頬が心なしか紅潮する。
「――あの、主」
「なぁに?」
「……俺の名前は長くて、変でしょう? ですから、『長谷部』とお呼びください」
「長谷部。これでいいの?」
「はい」
 嬉しそうな返事と共に、ひらりと花びらが舞った。
 さて、わたしは長谷部を浴室に案内した。元は刀といえど、今は肉体を持っている。戦闘の傷は手入れで癒すしかないが、それ以外の、例えば筋肉の疲労などは湯浴みで改善されるという。この国に伝わる神様は妙に人間臭いところがあるが、まさかそんなところまで似るなんて。
 一通りの説明を聞いた長谷部は、「錆びないか不安です」ともっともなことを呟いた。
「大丈夫よ。うちの刀剣はみんなお風呂好きだけど、誰一人錆びていないでしょう?」
「そうですね。……しかし、湯浴みなど初めてで……」
「じゃあ、今日は一緒に湯浴みをしましょう」
 長谷部の動揺が、周囲の空気を震わせた。その反応が可愛くて、ついつい断れないようにしたくなる。「わたしの――主の命ですよ、長谷部」己の立場を存分に利用した呪文を唱えると、長谷部はか細い声で「はい」と答えた。
 湯浴みをするのはとっぷり夜が更けてからにした。長谷部とわたし以外は皆風呂を済ませている。しかし念には念を入れ、浴室の扉を施錠した。
 するすると袴の腰紐を解き、着ているものを次々に脱衣かごへ放り込んでいく。長谷部もひとつひとつ、着衣を解いていた。思ったよりも着込んでいて、わたしの方が先に丸裸になってしまいそうだ。どうしようか迷ったが、最後の一枚である下着をするりと脚から抜いてかごに入れた。
「長谷部」
「っあ、はい! お待ちください、今支度します!」
 長谷部は大急ぎで残った服を脱ぎ捨てる。長谷部も生まれたままの姿になったことを認めると、わたしは彼を洗い場へと案内した。
 本丸の外見や造りこそ時代を感じるものだが、水道やガスといったインフラはきちんと整えられている。それらの使い方を覚えるのが、新入り刀剣男士の第一関門だ。
「じゃあ、使い方を教えるから長谷部はそこに座って」
「お、俺が椅子に座っていいんですか? 主が床に?」
「いいの、気にしないで」
 長谷部を椅子に座らせると、わたしは彼の後ろに回り背中に寄り添う。
「これを赤い印の方に回すと、こっちからお湯が出てくるの」
 まずはお湯の出し方の説明から。シャワーノズルからお湯が降ってくると、長谷部は何事かとそちらに顔を向ける。当然ながらお湯が長谷部の顔に降り注ぎ、長谷部は「ぶっ」と変な声を上げた。
「下向いて長谷部。洗ってあげる」
 シャワーで長谷部の髪を濡らしていく。十分に濡れたらシャンプーを手のひらに取った。
「この容器がシャンプー。髪を洗うときに使うもの」
「はい」
 泡立てたシャンプーで長谷部の髪を洗う。長谷部の髪は指通りが良く、泡も相まってするするとわたしの指を滑っていった。
「……妙な感じです。頭がむず痒い」
 そう長谷部が感想を述べた。最初はみんなそうかもね、と返し、長谷部の髪を洗い流す。ぴょんと跳ねていた髪が濡れてへたり、ほんの少しだけ印象が変わる。
 次は身体。シャンプー同様手のひらにボディソープを取って、もこもこと泡立てる。わたしはあかすりやタオルを使わない。自分の手のひらで洗うのが好きだ。
「こうやって泡立てて、……首からつま先まで……」
 身体をぴったりと寄せて、長谷部の上半身に泡を転がしていく。手のひらに感じる長谷部の肉付きは、特段鍛えられている感じではない。どちらかといえば細身の身体つきだった。
 上半身を洗い終えたわたしは、当然のように下半身へと手を動かしていく。長谷部の下腹部に触れた瞬間、「主!」と長谷部が声を上げた。
「なぁに、長谷部」
 彼が言わんとしていることの予想はつく。しかしわたしの目的はこれなのだ。長谷部の股の間で垂れているペニスを泡と手のひらで包み込む。
「あ、るじ……」
「どうしたの長谷部?」
「その、主、今お手を触れているところは……」
「ここも洗わなきゃいけないでしょ?」
 髪と同じ色をした陰毛を優しく洗立てる。ぴしぴしと長谷部の身体が緊張していくのが分かった。
 刀剣男士にも生理現象はある。気が昂ぶりすぎると勃起してしまう例もあるらしい。うちにいる刀剣たちも、ひっそりと性欲を処理しているのだろう。
 知恵を与えられる前に、わたしは長谷部に擦りこませたかった。何も知らない長谷部を、わたしの色に染めたい。それが本当の理由であった。
 くすぐったいのか、長谷部は何度も脚を閉じようとする。そこを「だめ」と制して、わたしは長谷部のペニスをじっくりと可愛がった。すっかり硬く、大きくなったそれは、握った手からはみ出すほど。こんなに大きいのに、初めて射精するなんて。長谷部の精液が飛び出し、わたしの手のひらを汚す瞬間を想像し胸がきゅんと疼く。
 陰茎全体を泡で包み、先端から根本まで幾度も手を往復させる。すぼまった先端は指で丁寧に洗った。長谷部は緊張しすぎているのか微動だにしない。
「――うッ」
 わたしが片手で長谷部の内腿を撫でると、小さな声を漏らした。内腿をなぞって、脚の付け根へ。そっと陰嚢を揉んで、いよいよラストスパートをかけ始めた。
「あるじ、そんなところ……ッ、っふ」
「長谷部のタマタマもおちんちんも綺麗にしてあげる」
 ふふっと、笑い声が出てしまった。調子に乗ったわたしは、水滴の滴る髪から覗く長谷部の耳を唇で挟み込む。ふー、と細く、長く息をそこに吹き当てれば、長谷部のペニスがひとまわり大きくなった。
 今にも弾けてしまいそうなくらい、長谷部が緊張している。だが必死に堪えるも空しく、風船を針で突くように張りつめたものが弾けた。
 ぴゅる、とわたしの手に熱いものが滴る。手が泡にまみれていなかったら、綺麗に舐め取りたいくらいだ。
「……っは、……あ、ある、じ……」
 気が抜けたように茫然としている長谷部の頬に唇を寄せる。ちゅ、ちゅ、と音を立て、幾度か長谷部にキスをした。
「気持ち良かった?」
「……はい」
「ん、そう言ってもらえると嬉しい」
 最後にもう一回長谷部の頬に口付けをして、シャワーで泡や精液を洗い流した。それから長谷部は湯船に浸からせ、自分の身体を洗う。時折長谷部がちらちら見てくるが、その視線に欲はない。ただわたしを見ているだけ。もしかすると、自分との身体の違いを見ているのかもしれない。
 あまりのんびり洗っていると、長谷部がのぼせてしまう。脚の間がきゅんきゅん疼いて、指でかき回したかったが、寝床まで我慢することにした。
 わたしも湯船に浸かり、長谷部に向かい合って言う。
「長谷部、さっきのことは口外してはだめよ。長谷部だけに、特別だから。他の皆が知ったら嫉妬しちゃう」
「……かしこまりました」
 やはり長谷部に「特別」という言葉は効くようだ。「主命」と「特別」。この二つの言葉を使えば、長谷部を縛ることができる。行く末を思い描いて、わたしの背筋が歓喜で震えた。


 長谷部とわたしは四六時中行動を共にしていた。昼も夜も、長谷部に教えることはたくさんあった。
「――っ、うあ、……ぁ、は、……くぅ」
 わたしの前で、長谷部が自身を慰めている。カソックと下に着ているものを脱ぎ、膝を立て淫らなところを露わにして。長谷部の手つきは、この前のわたしの愛撫にそっくりだった。記憶を掘り起し、あたかもわたしにされているように想像しているのかもしれない。
 赤黒く、ぱんぱんに張った陰茎に視線を注ぐ。先走りの滴る先端に指を押し付け、長谷部はそこをぐりぐり擦った。
「主、自分では……、やはり、主に」
「だぁめ。頑張って、長谷部」
 自慰では達せないと、贅沢な不満を長谷部が漏らした。
 別にわたしは長谷部のものをしゃぶるのも扱くのも厭わない。でも、自慰だって覚えなければいけないのだ。わたしがぴしゃりと断ると、長谷部は大人しく慰みを再開する。
 いつもは伸びた長谷部の背が丸まっている。おまけに頭を垂れて己の一物を見つめていた。
「……んッ、っふ、はぁ、……っ出、ッ」
 長く、苦しい時間だっただろう。ようやく解き放たれる。あらかじめ教えた通りに、長谷部は自分の手でペニスを包み、その中で射精した。
「出ました……、やりました、主」
 ぱっと上げたその顔には、褒めてくれと長谷部の胸の内がにじみ出ていた。
 精液にまみれべたべたになった長谷部の手を取り、わたしはおもむろに顔を近付ける。長谷部のにおいと、熱が感じ取れる。つう、と手のひらから手首へと滴り落ちる欲の蜜に舌を伸ばした。
「っあ、主? お顔が汚れてしまいま……、す、ぅ……」
 長谷部の身体がぶるりと震える。身じろぎして汚れた手をひっこめようとしてくるが、わたしは構わず長谷部の手を舐め続けた。一滴も残さぬよう、手のしわ、細かな凹凸にまで舌を這わせると、一度はしぼんだ長谷部のペニスが、また鎌首を上げてきた。
「長谷部、もう一回扱いて」
 わたしが起ち上がったものを見ながらそう言うと、長谷部は「かしこまりました」と小さく頷いた。
「そうね、今度は立って」
「――はい」
 長谷部はその場で立つと、わたしが舐めて綺麗にしたばかりの手でまたペニスを扱き始める。
 二度目は要領がいい。長谷部は少し背を曲げてしこしこと一物を扱いた。何を思い浮かべているのか、早くも瀬戸際まで来たようだ。
「長谷部」
「っ、はい」
「わたしの顔にかけて」
 長谷部の目が丸くなる。戸惑った声で、「顔?」だの「主?」などとわたしに問うてきた。わたしはにっこり笑って再度言う。「わたしの顔に、かけて」
 長谷部の腰が退けるのが分かった。だが、止めることは許さない。「長谷部」そう命じると、長谷部は唇を噛みしめ再び勃起したものを扱き出す。
 気持ちでは射精したくないのだろうが、刺激への反応は止めることができない。やがて長谷部は身体を震わせ二度目の射精を迎えた。
 まるで立小便をするかのようだった。熱い熱い精液がわたしの額に、頬に、口元に滴る。閉じていた目を開けば、茫然とわたしを見下ろす長谷部と視線が合った。
「……ある、じ……」
「ずっと待ってたの。わたしにこうしてくれる誰かを」
 つう、と精液が顔の輪郭をつたって落ちていく。わたしはそれに構わず続けた。
「長谷部は、わたしの命は何でもしてくれるんだよね」
 一歩一歩、長谷部を追い込んでいく。
「そう言ったよね、長谷部」
「……はい」
「あなたは特別なの。最高の、特別な刀剣。だから、長谷部」
「主……」
 長谷部がわたしの前に膝をついた。ぎゅうと抱き付き、長谷部の背に腕を回す。長谷部の美しい瞳を覗き込み、それから唇を近付けていった。わたしが押したのが先か、それとも長谷部がわたしを抱えて倒れ込んだのが先か。わたし達は抱き合ったまま床に倒れ込む。くるりと視界が回るその瞬間は、まるで身投げ心中のようだった。
 二人でどんどん堕ちていく。わたしは長谷部をだまして、その足を掴んで水底へと曳き摺りこんでいく。衣擦れの音、粘っこい音、肌がぶつかる音。長谷部に跨り、わたしは欲のままに腰を振った。


「尻を叩け、と……?」
 長谷部と同衾するのが当たり前になった頃、わたしは尻を叩けと彼に命じた。言わずもがな、長谷部はすぐには応じない。
「主に手を上げろと言うのですか」
 怪訝の色が長谷部の顔に浮かぶ。しかし、わたしが「そう」と頷くと、どうにか飲み込んだらしい。半ば仕方なしに、というていだが、長谷部は首を縦に動かした。
 正座をした長谷部の膝の上に身体を乗せる。下に着ているものをずらして、お尻を丸出しにした。うつ伏せになっているわたしからは長谷部の表情は見えないが、降り注ぐ視線には戸惑いが混じっていた。
 なかなか手は振り下ろされないが、わたしは黙ってその時を待ち続ける。「長谷部」と一言口にすれば、長谷部はすぐに平手を打ち付けるだろう。だがそれでは快感が半減する。わたしは長谷部が心を砕く瞬間を待望していた。主であるわたしに手を出す瞬間――つまり、長谷部の信念が壊れ始める時を、だ。
 何度も振りかぶっては躊躇い、葛藤で長谷部の呼吸が小刻みになる。長谷部の胸中を思うと、ひどく身体が熱くなる。焦らされれば焦らされるほど痛みは甘露に変わる。我慢しきれず、わたしは小さく身体を捩った。
「……っふ、ッ、……っう」
 「できません」と長谷部は泣くのだろうか。それならば、命ずるまで。
「叩いて、長谷部」
 わたしがそう告げると、やっと弱々しく手が振り下ろされる。それはただ触れただけに等しい。あまりにも弱々しいから、わたしは重ねて命じてしまった。
「叩いて、って言ったよね」
「っ、はい……」
 二度目の平手は、ぺちんと音を立てた。「もっと」「はい……」震える声で答えながら長谷部は手を振り下ろしていく。
 ぺちん、ぺちんと情けなく、弱々しい音が続いたのだが、不意にパンと小気味よい音がした。
「ひゃうッ」
「っ、主、すみませんッ」
「長谷部、今の、すごく良い……。今みたいなのを、もっと」
 首を捻って、長谷部を見ながらそう言った。歓喜で目を潤ませ、頬を赤くしているわたしを、理解しがたい目で長谷部が見ている。長谷部は何も答えなかったが、わたしがまた床に視線を落とすと平手を再開した。
 尻の肉を叩く音と、わたしの声が交互に響く。手が振り下ろされ、尻を叩かれる度にわたしは腰を捩る。叩かれ続けたお尻は熱を持ち、びりびり痺れていた。
「……おいたわしい……」
 すっかり赤くなったわたしのお尻を、長谷部が優しく撫でる。
「主、もうやめましょう。主の肌がこんなに赤くなってしまっています」
 長谷部の申し出にわたしは首を振った。
「なぜですか」
「だって、気持ち良いんだもの」
 長谷部が息を飲むのが分かった。初めて遭遇する被虐趣味の女に理解が追い付かないようだ。ましてやその女が自分の主ならば、ますます混乱するだろう。
 わたしは昔からこうだった。被虐趣味のつぼみを花開かせてくれる誰かをずっと求めていた。審神者となってからもそれは変わらず、いつしかわたしは刀剣男士たちをそういう目で見るようになってしまっていた。
そしてわたしはへし切長谷部に目をつけ、顕現したての長谷部を早々に囲い込み、わたし好みに育て上げようとしたのだ。
「……主は、痛くないのですか?」
 ぽつりと長谷部が問うた。痛いわけがない。身体に与えられる苦痛を快感にすり替えて善がるのだから。きっとわたしは長谷部に胸を刺されたら絶頂のまま死ぬだろう。それくらい、わたしは歪んでいる。
 わたしがそう答えると、もう一つ重ねて長谷部が問う。「俺だけですか」と。
「長谷部だけよ。長谷部だけ」
「……俺、だけ……」
 まるで自分自身に言い聞かせているようだった。「俺だけ、俺だけ」と、長谷部は幾度か繰り返し呟く。
「ねえ長谷部、もっと叩いて」
 まだまだ物足りなくて、わたしは長谷部に乞うた。すると長谷部は「かしこまりました」とすんなり応じたではないか。長谷部の声にもう戸惑いや躊躇いは混じっていない。いつものように、出陣や遠征を任せた時と同じ声。この時、わたしの身体と心は歓喜に震えた。
 肘と膝をついてお尻を突き出したわたしに、長谷部は思い切り平手を振り下ろす。パン、と乾いた音が響いた。
「ンひゃぁッ」
 思わず腰が動き、更にお尻を突き出す格好になる。間髪入れずに平手が尻たぶを叩く。「あうっ」もう一回。「ひいッ」パン、パン、と叩かれる度、わたしの声はどんどんだらしなく、本能をむき出しにしたものになっていった。
「主はいけない御方ですね。こんな、児子の仕置きまがいのことで喜んで」
「そうなのぉッ、わらし、――んッ、いけない子、だからあッ、ふ、あんッ」
「貴女に仕えることができるのは俺くらいでしょう」
「そう、そうなのお、はしぇべだけなのぉっ」
 へし切長谷部は承認欲求が少しばかり強かった。わたしはそこにつけ込み、長谷部の心を満足させる呪文を吐き続けた。――長谷部だけ。長谷部は特別だ、と。ようやく見つけたパートナーを逃すまいと、わたしは長谷部が完全に堕ちるまでその呪文を吐き続ける気でいたが、思ったよりも早く効果が出た。
 他の刀剣に怪訝の目を向けられても、わたしは常に長谷部を傍に置いていた。昼も夜も、長谷部はよく仕えてくれた。首を絞めろという酔狂極まりない要望にも応え、息が止まる寸前までわたしの首を絞めてくれたこともある。
「こんな命をこなせるのは、俺くらいでしょうね」
「そうよ、長谷部、あなただけ」
 わたしと長谷部は決まってこのやりとりをしていた。長谷部の目が覚めてしまわぬよう、わたしは長谷部に毒の言葉を囁き続けた。


 用事で出かけた折に、わたしは買い物をした。見つけた瞬間、嬉しくて飛び上がるかとおもったくらいだ。
その日の晩、わたしは早速買ったものを長谷部に見せる。
「これは、一体」
 見慣れない物に長谷部は首を傾げる。手のひらに収まるほどの、小さなプラスチック製の器具。長谷部はそれを手に取り、まじまじと観察した。と、その時器具を握りこみそうになったのでわたしは慌てて止める。握りしめたら目的を果たす前に使えなくなってしまう。
わたしは長谷部にそれが何かを説いた。ピアス、という金属の飾りを身体に取り付ける器具だと。
「――して、何処に取り付けるのですか?」
 器具――ピアッサーの形状から、長谷部もなんとなくは分かったようだ。一体何処にこの金属棒を突き刺すつもりなのかと問うてくる。場所はずっと前から決めていた。わたしは着衣を解き、肌を露わにして答える。
「ここ」
 うずうずしている乳首を指さすと、長谷部は笑った。
「さすが俺の主。予想もつかないことを仰る」
「それは褒め言葉と思っていいの?」
「褒め言葉でも罵り文句でも主は喜ぶでしょう?」
 口角を上げて長谷部が言う。まさしく言葉の通りで、わたしもつられて笑ってしまった。
 ピアッサーと一緒に買ってきた消毒綿で、長谷部が乳首を優しく拭く。アルコールが気化する時のひんやりした感覚で身体が疼いてしまう。乳首はより一層硬く膨れ、ピアスを突き刺してほしいと言わんばかりになった。
 長谷部が指先で乳首を摘まみ――その瞬間にも「ひゃう」と声を上げてしまった――、ピアッサーを近付ける。腰を捩らせると、「動かないでください」と長谷部が言う。
「手元が狂ってしまいます」
 片手で乳房を支え、もう片方の手でピアッサーを握りこむ。金属棒が勢いよく打ち出され、わたしの皮膚と肉を裂き、乳首に貫通した。
「うあ……はぁ、あっ……」
 頬が熱い。その火照りを冷ます暇もなく、もう片方の乳首にも金属棒が突き刺さった。
 貫かれる衝撃でびりびり痺れた乳首からは、じわりと血が滲んでいる。まるで破瓜のようだ。恍惚としてへたり込むわたしの傍らで長谷部がぽつりと呟いた。
「主の身体を貫く感触が残っています」
「そう」
「柔いと思っていましたが、なかなか手ごたえがありました」
 手を握ったり開いたりしながら長谷部は言った。
 その時乳首が疼いたのは、ピアスを開けて間もないからだけではないだろう。


 ピアッシングの経過も良く、わたしは刺さっているピアスを新しいものに取り換えた。輪状で、小さな飾りが付いている。付け替える時少しばかり穴の内側を抉ってしまい、チリリと痛みが走ったが、それに対してさえも甘い吐息が出てしまう。
 長谷部に見せるのが楽しみだ。着衣を整え、長谷部の帰りを今か今かと待った。
「主、第一部隊ただいま帰還しました」
 待ちわびた声に、わたしは自ら部屋の戸を開ける。「長谷部、おかえりなさい!」飛びつかんばかりの勢いだったわたしを長谷部はそっと制すと、部屋の中へ押し戻す。周囲に幾度か視線を遣ってから、長谷部はわたしの部屋に入った。後ろ手に戸を閉め、ようやく息を吐く。
 長谷部の様子がおかしい。どうしたのかわたしが問うよりも先に、長谷部が口を開いた。
「他の刀剣が、不審に思っています」
 四六時中傍に置いている長谷部と、それ以外の刀剣男士への対応の違いは明らかだ。誰がどう見てもわたしが長谷部を特別扱いしていると分かるだろう。
「中には俺が主を虐げていると誤解している者もいて――」
 わたしをまっすぐに見据え、長谷部が問うた。
「主、俺たちが……、俺がしていることは間違っていませんよね?」
 長谷部の目が覚めてしまう。そう直感したわたしは、「間違っていない」と身を乗り出してまで肯定した。
「……それなら、いいんです」
 長谷部はそれ以上何も言わなかった。だが、物言わずとも、自身の存在が揺らいでいることは感じ取れた。わたしは間を詰め長谷部を抱きしめる。長谷部は少し寄りかかりはしたが、その腕でわたしに縋ることはなかった。


 さすがにその日は長谷部と寝ることはできなかった。久しぶりに一人で夜を過ごす。
 ――そういえばこの頃長谷部以外の刀剣男士とろくに話をしていない。長谷部の言っていたことは後からじわじわ効いてきて、わたしはなかなか寝付けなかった。
 愛想をつかされてはいないだろうか。特に、かつて近侍だった彼は――。不意に嫌な考えがよぎり、わたしは堪らず布団を抜け出した。眠れないし、じっとしていたら嫌なことばかり考えてしまう。少し夜風に当たろうと、わたしは部屋を出た。
 皆が寝静まった本丸はすごく静かだ。なんだか足音を立てるのも遠慮してしまい、まるで侵入者のようにこそこそしてしまう。それも自分がやましいことをしている自覚があるからだろう。
 庭がよく見えるあたりで腰を下ろし、しばらくぼうっと景色を眺めていた。すると、「主殿ではないですか」と穏やかな声が耳に届いた。
 はっとして声のした方へ顔を向けると、ひとりの刀剣男士がいるではないか。姿に覚えはあるが、名前が出てこない。そんなわたしを見かねたのか、刀剣男士が名を告げた。
「粟田口の太刀、一期一振と申します」
 名乗られてようやく思い出す。最近加わった太刀だ。
「今宵は、夜空が綺麗ですな」
「……そうね」
「主殿、私もご一緒してもよろしいですか?」
 わたしがコクリと頷くと、一期一振は隣に腰を下ろした。
「主殿も眠れないのですか」
 またしても頷くだけのわたしに、一期一振は優しい笑みを浮かべる。何でも受け入れてくれそうな一期一振の笑みに、ぽつりと胸の内が零れた。
「……わたしは、主として失格なのかもしれないと考えていました」
 刹那、一期一振の目が丸くなったが、「如何なされました」とすぐに表情を戻した。もう少し、甘えても大丈夫だろうか。わたしは続けて言う。
「少し、良くない話を耳にしてしまったので」
「――誰がそんなことを?」
「風の噂で……」
「噂など気に病む必要はありません。私も、皆も、主殿を慕っております」
 愛想をつかされてはいなかった。誰かひとりでもそう言ってくれたらわたしはそれでよかった。一期一振の言葉に安心した途端、ふっと涙腺が緩んでしまう。
 一滴流れたら、堰を切ったように次々と涙が零れ落ちる。はらはら涙を流すわたしを、一期一振は咄嗟に抱き寄せたではないか。
「ごめんなさい、ほっとしたらつい……」
 一期一振がわたしの背をさする。悲しくて泣いているわけではないのに、彼は涙を止めようとしてくれた。もう平気よ、と目尻を拭って一期一振と視線を合わせたら、一拍の間が生じた。
 元は武器でも、刀剣男士にはそれぞれの性格がある。刀剣として辿った運命を反映した性格だったり、己を所有していた持ち主の影響を受けたものだったりと、本当に様々だ。
 一期一振は物腰穏やかなだけでなく、女の扱いにも長けているのか。確か、彼のかつての持ち主は――そこまで考えたところで、やわらかな唇の感触がわたしから思考を奪い取った。
 先に唇を寄せたのは一期一振の方だった。「嫌でしたら言ってください」と、わたしの頬に口付けをひとつ。そこからはなし崩しに、唇にひとつ、もう一度唇に、その後はもうお互い押し付けあって。
「主殿、一人で思いつめないでください」
 一期一振の優しさにわたしは自ら身を沈めた。彼を部屋に連れ込み、口付けから先のことを進めていく。わたしを布団に組み敷き、一期一振は着ているものを剥がしていく。
「……これは?」
 ツンと起った乳首を飾るそれに、一期一振は首を傾げた。言葉を濁すか迷ったが、今更うまく誤魔化せるわけがない。わたしは、自分が被虐趣味であることを正直に話した。
「酔狂な趣味をお持ちですな」
 そう言って、一期一振は乳首の飾りを軽く引っ張る。
「――ッ、あうッ」
 引っ張られた衝撃は期待以上のもので、わたしの身体はたちまちに熱を帯びる。
 一期一振が指で小さな飾りを弄ると、ピアスホールの内側がびりびりと痺れてくる。まだ薄皮が張った程度の穴からうっすら血が滲んだ。
「ひうッ、そ、そんなに引っ張ったら、ちくび、ちぎれちゃうからぁ」
 言葉とは裏腹に、わたしは腰を捩って痛みに酔いしれていた。抵抗らしい抵抗を見せないわたしの脚の間に手を差し入れ、一期一振がクリトリスをぐにぐにと押しこねてくる。
「やッ、しょこ、ぐりぐりしないでぇ」
 皮を被っていたクリトリスがむき出しになり、刺激をより増幅させる。すっかり赤く膨れたクリトリスを指先で突きながら一期一振がわたしに尋ねた。
「ここには飾りを付けないのですか?」
 長谷部は命じられて動くが、一期一振はその前に動く。しかも、わたし以上に欲求の満たし方を分かっている。局部へのピアスの提案に、ぞくぞくと身体が震えた。
「……付け、たい」
「そういうと思いました」
 くすりと笑って、また指の腹でクリトリスを揺する。こみ上げる快感にわたしは背から喉までのけ反らせた。
「一期ぉ、わたし、お尻叩かれるの好きなの。お願い、お尻叩いて」
 身体を反転させ、お尻を高く突き上げる。
「全く、私の弟たちすらこんなことはしないのに」
 主であるあなたが――そう言いながら一期一振は平手を振り落とした。お尻のまるいところに、びりりとした痛みが走る。
 乾いた音が響く度、わたしは身体をくねらせた。頭に浮かぶのは長谷部の顔。長谷部、ごめんね。長谷部だけって言ったのに、ごめんね。一期一振にお尻を叩かせ、わたしは自己満足な懺悔を愉しんでいた。
「尻を叩かれて動く……。まるで主は馬ですな」
「はいぃっ、わらひ、馬なのっ、お尻叩かれていっぱい動くお馬さんなのぉッ」
 一期一振のものに突き上げられ、動きが緩むとすかさず平手が振り下ろされる。その様子を馬に例えられ、わたしの興奮は最高潮に達した。


「――では、私はこれで」
 わたしの希望通り、たっぷりと顔に精液をかけると、一期一振はふっと元の調子に戻った。身なりを正し、恭しく一礼をしてから部屋を出る。
 わたしの欲求を満たしてくれるのは長谷部しかいないと思っていたが、意外な伏兵がいた。長谷部と違い、すんなりわたしを受け入れてくれたあたり、一期一振にはもともとその気があったのかもしれない。そうでなければ、よっぽど心が広く寛容なのか。
 長谷部を近侍にしてからは、新入りの刀剣男士は顔を一瞥する程度だった。もしかすると長谷部を超える刀剣男士がいるかもしれない。
 わたしの欲は底を知らない。より強い刺激を知れば、これまでの痛みでは満足できなくなる。ひどく贅沢で、貪欲で、最低な欲求。わたしは長谷部の気持ちを踏みにじり、翌日から他の刀剣男士に代わる代わる近侍を務めさせた。
 長谷部に執心してほったらかしにしていた他の刀剣男士ともちゃんと話をするようになったからか、どことなく本丸の雰囲気が明るくなった。布団を共にするのは専ら長谷部だが、わたしは時々一期一振とも過ごしていた。もちろん、長谷部には隠している。長谷部を自分好みに染め上げる傍ら、一期一振に欲を満たしてもらっていた。
 長谷部の不安そうな視線はいつも感じていた。分かっていながらぎりぎりまで焦らすと、長谷部はいつも以上に言うことを聞いてくれるのだ。わたしは最低だった。
 長谷部と二人で完結していた小さな箱庭がいびつに歪んでいく。


 焦らしに焦らされ、やっと再び近侍を任された長谷部は、「何でも申し付けてください」と開口一番そう言った。
「何でも?」
「はい」
「……久しぶりに、首を絞めてくれる?」
 なんとなく、今日はそんな気分だった。言ってすぐ畳に組み敷かれ、長谷部が馬乗りになる。長谷部の両手が首にかかり、その手にじわじわ力がこもっていく。
 わたしを見下ろす長谷部の目は冷えていた。その視線が火照った身体に心地よい。だんだんと酸素が足りなくなり、視界がぼやけてくる。生死のはざまをゆらゆらしているこの時がなんとも言えない心地なのだ。長谷部の力加減に己の命を預けて快楽に浸っていると、誰かの叫び声が遠くで聞こえた。
「――長谷部くん、君、何をしてるんだ!?」
 締め上げられていた首が解放される。しかしまだ頭はぼんやりしていて瞼を上げるのが億劫だ。畳の上に転がったままのわたしの頬を誰かが叩く。
「主、主ッ!? 大丈夫かい!?」
 ゆっくりと酸素が巡っていき、わたしは目を開く。わたしを心配そうに見つめるのは長谷部の藤色の瞳ではなく、金色の――。
「みつ、ただ……?」
「ああ、良かった。大丈夫かい?」
 光忠こと燭台切光忠はわたしを抱き起し。乱れた髪を指で梳き整えた。
「主に用があって部屋に来たら、長谷部くんが君の首を絞めていて――」
 光忠の心配を他所に、わたしは長谷部の姿を探した。光忠に突き飛ばされたのか、長谷部は少し離れたところで片腕を押さえていた。
「長谷部」
 わたしの声に、長谷部が顔を上げる。動こうとした気配を察したらしく、光忠はわたしを己の腕の中に押し込めた。身を挺して壁となり、長谷部からわたしを守るつもりなのか。
 光忠の目には殺気が宿っている。光忠の背の向こうにいる長谷部も気が立っているだろう。一触即発――。事が大きくなるのを恐れたわたしは、「離して」と手足をばたつかせた。
「光忠、違うの。違うの!」
「何が違うと言うんだい」
「長谷部は悪くないの、わたしが長谷部に頼んだの」
 光忠はわたしの話が信じられないようで、「嘘は言わなくていい」と眉尻を下げてわたしに言い聞かせてくる。嘘じゃない。自分が望んだことだと何度も首を振り続けた。
「僕はまだ信じられないのだけど、そうなのかい、長谷部くん?」
 光忠の問いかけに、長谷部は「ああ」と返した。
「どうしてまたそんなことを……?」
「それは……」
 どうしようもない自分の性質を明かすのは光忠で三人目だ。誤解を解くためとはいえ、自分だけが知っている秘密を他の者に明かされるのが気に食わないらしく、長谷部は不満そうな表情を浮かべていた。
 一方でわたしは三人目の理解者を期待していた。長谷部、一期一振と二人も受け入れていくれる刀剣男士がいて、どこか浮ついていたのかもしれない。全てを打ち明け、期待を胸に顔を上げる。
 ――光忠はわたしから目を逸らしていた。
「……おかしいよ、主も長谷部くんも」
 光忠の身体はわなわなと震えていて、今すぐにでもここから飛び出したいのが目に見えて感じ取れた。
「君は、主命だからってこんなおかしいことをしているのかい? 僕には理解できないよ長谷部くん」
 わたしも長谷部も、黙ったままだった。汚いものから目を背けるようにして、光忠は部屋を出ていった。
 光忠はただ正しい反応をしただけだ。異端なのはわたしなのだ。あんな反応をされるから今までずっとずっと隠してきたことなのに。
「はせべ……」
 縋るようにわたしは長谷部を呼んだ。しかし長谷部は押し黙ったままで、「はい」とすら言おうとしない。
「長谷部、ねぇ長谷部」
 ようやく長谷部がわたしの方を見る。藤色の双眼はどす黒く澱んでいて、視線は宙を彷徨っていた。
「……あるじ、俺は、今まで何をしていたのですか? 俺は、間違ったことをしていたのですか? あるじ、主っ……」
「何も間違って、ない……」
「嘘です! 俺は、おれは、こんなことをするため、に」
 長谷部の声に嗚咽が混じっていく。見ていられずわたしは長谷部にすり寄った。ぐ、と長谷部の喉が動き、吐瀉物が吐き出される。
「あるじ、俺はもう分かりません。何が正しいのですか?」
 精神が容量過多となった長谷部は嗚咽と嘔吐を繰り返した。わたしは長谷部の問いに答えることができない。せめてもの償いに、わたしは泣きじゃくる長谷部を抱きしめ続けた。


 泣き疲れた長谷部はわたしの膝に頭を乗せ、子供のように眠っていた。時折長谷部の髪を撫でるほかは、わたしは何もする気が起きなかった。
 荒れた部屋をぼんやり眺めていると、静かに戸が開き、一期一振が顔を覗かせた。
「燭台切光忠殿の様子がおかしかったので、事情を聞いてしまいました」
「……そう」
「燭台切光忠殿の反応は正常だと思います」
「そうね」
「私も、主殿はおかしいと思います」
「……なら、どうしてわたしを受け入れたの?」
 わたしの問いかけに一期一振は目を細める。
「弟が多いせいか、誰にでも優しくしてしまうのです」
「そう。優しいお兄さんなのね、あなたは」
 二人目の理解者だと思っていたら、ただ憐れみを受けていただけだった。その事実を知り、わたしは笑ってしまった。
 もう終わりにしよう。長谷部が目を覚ましたら、全てなかったことにしよう。部屋を出ていく一期一振の背を見ながら、わたしはそう決意した。
 長谷部が目を覚ましたのは日が暮れてからだった。目覚めてすぐ、わたしの膝の上を占拠していたことを侘び、「申し訳ございません」と畳に額を付けた。
「いいの。頭を上げて、長谷部」
「……はい」
 たった半日程度の顛末だったのに、長谷部の顔がどことなくやつれている。殊に泣き腫らした目尻の赤さが目立つ。
 へし切長谷部はよく冴え、美しい刀であった。刀剣男士として顕現してもその特徴は失われず、その名に恥じぬいでたちをしていた。一目で心奪われた凛とした眼が、今はどうだ。光は失せ、涙の痕ができている。
 わたしが長谷部を壊してしまったのだ。己の醜い欲で、長谷部を。
「主、俺は何のために顕現したのでしょうか」
「……、それは……」
「俺は、空っぽなのかもしれません。主の言うことを聞いて、命を果たすだけ。……ははっ、こんなこと、犬でも躾ければできますよ」
 自嘲ぎみに長谷部は笑う。
「長谷部、やめて。そんなこと言わないで」
 空っぽなわけがない。わたしは強く否定するが、長谷部は聞く耳を持たなかった。
「俺が空っぽだから、貴女がおかしいことに気付けなかった。貴女は悪くありません。全ては俺が空っぽだったがゆえに招いたことです」
「違……ッ」
 どこまでも長谷部は自分を責め続けた。しかしその一方で、「可哀想な自分」を愛でているようにも感じ取れた。
「俺は、貴女にどこまでも付いていきます。地獄の底でもどこへでも」
 わたしは全て終わりにするつもりではなかったのか。決意がどんどん揺らいで散っていく。長谷部が壊れてしまったのに、どうしてわたしの口元はだらしなく緩んでいるのだろう。
「……長谷部、あなたはやっぱり特別だわ」
「貴女の命をこなせるのは、俺だけですよね? 主」
 そうよ、長谷部だけ。わたしがしっかり頷くと、長谷部の双眼に再び光が宿った。


 明くる日わたしは一期一振と燭台切光忠を呼び出し、それぞれに刀解を告げた。一期一振は「弟達は大事にしてください」とだけ言い、光忠は口を噤んだまま諦めたような目でわたしを見つめていた。
 彼らに罪はない。わたしの、審神者の都合で刀解される哀れな存在。何も知らなければ、――あの日わたしが欲に流されなければ、こうはならなかった。ちくちくと胸が痛んだ。
 刀解を終え、部屋に戻ったわたしを長谷部が出迎える。「お疲れさまです」と労いの言葉を吐いた。
「ところで主、燭台切光忠は分かりますが、なぜ一期一振まで?」
「……一期一振も知っていたから」
「……どうやって知ったのですか?」
「わたしが……、話したの」
 ぴくり、と長谷部の眉が動いた。わたしは心の中で一期一振に詫びる。あなたとの逢瀬すら、欲を満たすために使いますと。
 一期一振との夜のこと、更にその後のことまで、十分すぎるほど長谷部に打ち明けた。それから、自ら罰を乞う。
「――ッふ、ひゃあンッ、っも、もっと、もっとぉ」
 お尻を叩かれる度に、身体が弓なりになる。ビクン、と大きく震え、確かに痛みは感じているのにわたしは更に乞い続けた。
「はしぇべ、っあ、ごめんなひゃい、もお、はしぇべ以外にこんなことおねだりしないから、っあうッ」
「当たり前です。貴女の命をこなせるのは俺しかいないんですから、ねぇ、主ぃッ」
 パン、とひときわ大きな音を立ててお尻をぶたれた。その瞬間に下半身がビクビクと震え、弛緩した股からだらしなく尿が零れだす。止めようと脚に力を入れても、出てくる勢いには逆らうことができず、ぴゅっぴゅと小刻みに尿が飛び出すだけだった。
「あっ、や、止まらない、よぉ……」
「粗相までして……。今度からおしめを着けて過ごさないとだめですかねぇ」
 ぞわぞわと肌が粟立つ。ひどい辱めの言葉を言われたのに嫌だと抗議する気が起きない。
「まさか良いと思っているわけではないでしょうね? おしめを着けている主なんて、笑い種ですよ」
 さっきよりは少し弱めに、平手がお尻を叩く。
「っふ、んんッ」
 溜まっていた尿も出し切り、わたしははぁはぁと肩で息を繰り返した。
 くたりと身体を畳に預ける。息は乱れ、手足は絶頂を迎えたせいで力が入らなかった。動こうにも動けないわたしに代わり、長谷部が汚れた陰部と畳を拭いてくれた。何から何まで、わたしの欲の始末をしてくれる。サディズムとはサービス精神と奴隷精神――すなわち、slave――から成り立つというのもあながち間違ってはいないのだろう。あくまで主はわたし、長谷部は臣下。歪んだ主従関係だ。


 わたしと長谷部だけの、小さな箱庭。広かった世界がどんどんその中に収縮されていく。手枷、足枷、それから首輪。わたしは自ら望んで箱庭の中に閉じこもった。
 長谷部がいればそれでいい。
 それで、いいのだから。
 いつの間にか、本丸はがらんどうになっていた。