ボーイ・ミーツ・レジェンド

 花岡楓士雄はコンビニのフリーペーパーラック前で悩んでいた。手にしているのは地元の求人情報が載ったフリーペーパーだ。最新号を見つけ即座に開いてみたものの、条件の良いアルバイトがなかなか見つからない。最初のページから目を皿のようにして細々とした募集要項を見ていくが、「これ」というものがない。
 楓士雄がぶら下げているレジ袋の中には、買ったばかりのバイク誌が入っている。これが結構良いお値段なのだが、掲載されているバイクはどれも魅力的で、立ち読みでなんて済ませられない。楓士雄は向こう一週間の昼食を節約すると心に決めて、この雑誌を買った。
 雑誌を買って金欠だからアルバイトを探しているわけではない。楓士雄はバイクが欲しいのだ。それも、とびきりかっこいいやつが。しかし今の楓士雄の全財産を投じても、免許の取得費用にすら届かない。バイクが欲しい。できるだけ早く。手っ取り早く稼げるアルバイトはないだろうか。楓士雄がフリーペーパーのページをめくろうとした時、ラックのすぐ横にあるATMの前に人が立った。なんとなく自分が邪魔なような気がして、楓士雄は読みかけのフリーペーパーをレジ袋に突っ込み店を出た。
 鳳仙学園や牙斗螺との騒動後、幼馴染のアラタは同じく幼馴染の真也と正也の紹介で新しいアルバイトを始めたらしい。なんでも、真也と正也が勤める建設会社の事務員が産休に入るとかで、ちょうど良いとアラタが抜擢されたのだ。
「真也も正也も、なーんで俺を指名してくれないんだよ」
 適材適所というものがある、ということを楓士雄は全く考えていない。現場作業員に欠員が出たなら楓士雄が誘われただろうが、事務員だ。誰だってアラタの方が適任だと思うだろう。
 外はまだ少し暑さが残っている。節約を心がけてまだ十分も経っていないが、楓士雄は暑さに負けて自販機の前で立ち止まった。財布から出した小銭を自販機に入れようとした時、一台のバイクが目に入る。いたるところにカスタムが施されている、大型のそれ。バイク誌に載っているものより何倍も、何十倍も魅力的で、楓士雄は思わず近付きまじまじと見てしまう。
「――おい、何見てんだ」
 ふいに不機嫌そうな声が聞こえた。
 楓士雄が顔を上げると、この季節だというのにレザーのライダースジャケットを羽織り、ブーツを履いた男が楓士雄を睨んでいた。男の出で立ちでこのバイクの持ち主だと気付いた楓士雄が口を開く。
「これ、アンタのバイクか?」
 男は答えない。代わりに、片眉を上げる。不愉快のサインだが、楓士雄はそんなことお構いなしに男に言った。
「すげぇかっこいいな! 俺、こういうバイクに乗りてぇ!」
「……はぁ?」
 自分のバイクを見つめる楓士雄の目があまりにもきらきら輝いていたので、ライダースを着た男は呆気に取られてしまった。
 しゃがみこんでバイクを見つめ、楓士雄は「すげぇすげぇ」と連呼している。いつの間にか暑さなど忘れてしまった。こういうバイクが欲しい。こんなバイクに乗りたい。楓士雄の中で、目標とするものが明確になっていく。ついでにアルバイトの目標額もはっきりさせようと、楓士雄は男に尋ねた。
「なぁ、このバイク幾らくらいしたんだ?」
「……幾ら、って言われても」
 ライダースの男は顎に手を添えて考える。このバイクを手に入れたのは結構前だし、カスタムは気が向いた時にこつこつやっていた。これまで幾ら使っただろうか。そんなに細かく考えずに金を払っていたような気がする。悩んで、めいっぱい悩んで、男は答えた。
「五百万……、いや、もっとか?」
「ご、ごひゃくッ……!? マジかよ……」
 五百万と聞いた楓士雄は、がっくりと肩を落とす。一万円札が五百枚。一万円貯めるのに、時給八百円のアルバイトを何時間すればいいのか。そしてそれをかける五百だ。考えれば考えるほど楓士雄は落ち込んでいった。
 ついさっきまであんなに目を輝かせていたのに、今はこの世の終わりを迎えたような顔だ。楓士雄の変わりように、ライダースの男はため息をつく。
「ガキがそんなホイホイ買えるものじゃねえんだよ。お前まだ学生だろ? この辺だと、オヤコーか?」
 ライダースの男は、この辺りがあまり好きではない。鬼邪高校という、何年も高校生を繰り返している不良が集う高校があるのだ。何度か絡まれたことがあり、鬼邪高校に良い印象がなかった。しかし、なりゆきで顔見知りになってしまった奴もいるが――。
 自分の通う学校を当てられ、楓士雄は目を丸くする。そして、男に迫るように問う。
「え、あんたオヤコー知ってんの!? 俺らってそんな有名なワケ?」
「うお……っ、ンだよお前……。まぁ、顔見知りは何人かいるけど……」
「まじ? やっぱ定時の奴ら? 村っちとか?」
 落ち込んだかと思えば、今度は食い気味に迫っている。楓士雄の顔の近さに、ライダースの男は反射的にのけ反った。
 面倒な奴に声をかけてしまったと、ライダースの男は後悔する。どうにか話を切り上げてこの場から去りたい。一刻も早く。男はちらちら辺りを伺う。こんなところを「アイツ」に見られたら――、と思ったまさにその時だった。
「広斗?」
 ライダースの男は顔をしかめる。今一番会いたくない奴に見つかってしまったのだ。男は無視をしたが、バイクのエンジン音が近付き、ゆるやかに止まる。
「ぶっは、広斗何してんの!? ガキに懐かれてる!」
 もう一人の男は、バイクを停車するなり思い切り噴き出した。
「うるせぇな雅貴! こいつが絡んできたんだよ」
 雅貴と呼ばれた男もまた、ライダースを纏っている。雅貴はバイクから降りると、楓士雄達の方へ近づいてきた。
「喧嘩でも売られた?」
「……いや、俺のバイクがかっこいいって」
 ライダースの男――広斗の答えに、雅貴は今一度噴き出す。広斗の肩を遠慮なく叩き、おかしくてたまらないと言わんばかりに腹を抱えた。
 蚊帳の外の楓士雄は、雅貴と広斗を見てまばたきをする。かっこいいバイクが一台だけでなくなんと二台も。おまけに持ち主は二人ともライダースを着こなしていて、様になっている。楓士雄の気持ちがどんどん高揚していく。二人の会話に割り込むように、楓士雄は声高に言った。
「やべぇ、二人ともめっちゃかっこいいな!」
 かっこいいと言われ、すぐさま反応したのは雅貴の方だ。男なのが少し残念だが、悪い気はしない。口角を上げて「だろぉ?」と上機嫌に返す。
「お前、名前なんていうの?」
 褒められて気を良くした雅貴が楓士雄に尋ねた。広斗はそれを窘めるが、雅貴は全く聞いていない。
「俺、花岡楓士雄。鬼邪高のアタマ目指してる」
「あー、オヤコーって感じするな。アタマ目指してんの? 村山はどうした?」
「村山って、村っち? 村っちなら、少し前にソツギョーした」
「マジかよ? お前らんとこ卒業ってあるんだ!?」
 どんどん盛り上がる楓士雄と雅貴を見て、広斗は舌打ちをした。
「――おい雅貴」
 さっさと話を切り上げようと、広斗が割って入る。しかし、雅貴が広斗の肩に腕を回してきたではないか。振りほどこうと広斗は雅貴にひじ打ちをするが、効果はない。
「フジオもバイク欲しいの? 良い店教えてやろうか?」
「こいつ金ないから教えても無駄だよ」
 広斗の言葉に、楓士雄は五百万円という大金が必要なことを思い出した。うなだれて、「そうだった」と力なくつぶやく。
「マサキもヒロトも、どうやって金貯めたんだよ……」
 あわよくばその仕事を紹介してもらおうという魂胆だった。楓士雄の問いかけに、雅貴と広斗は顔を見合わせ、気まずそうな顔をする。
 雅貴と広斗は「運び屋」と呼ばれる仕事をしている。その他にも収入源はあるが、メインにしているのは預かった品物を指定されたところへ運ぶ仕事だ。預かるものは様々だし、届け先もまた様々。猫が描かれたトラックで中身が安全なものと保証されている品物を届けるのとはワケが違う。詳しくは言えないが、堅気の仕事ではないのだ。
 大型トラックのあらゆるところに乗り込んで突っ込んでくる鬼邪高生といえど、自分たちよりは堅気だろう。教えられないよな、と雅貴と広斗は目で会話をした。
「ナ・イ・ショ」
 雅貴は口に人差し指を当て、おどけた口調で楓士雄に言う。
「ええ? 教えてくれよ! 俺早く金貯めたいんだよ!」
 どうにか聞き出せないかと食い下がる楓士雄に、今度は広斗が言った。
「ガキはまず小遣い貯めるとこから始めろ」
 その言い方に、楓士雄はカチンときた。広斗を挑発的に睨み、言い返す。
「ガキガキって、俺高校生だけど?」
「じゅうぶんガキだろ」
 場の空気が変わる。一触即発。まずい、と雅貴は思った。
 広斗は苛立つと手が出る。今まで楓士雄相手におとなしくしていたのが奇跡なくらいだ。真っ当な理由があるなら一発や二発交えてもいいかもしれないが――いや、よくないが――、理由がくだらなすぎる。雅貴は広斗と楓士雄の間に入り、二人を制した。
「はいはいそこまで! ったく、広斗はもうちょっと心を広く持ちなさい! お兄ちゃんが尻拭いするんだから!」
「うるせぇな雅貴」
「お兄ちゃんを呼び捨てにしない!」
 そんなやり取りを見て、ぷっと噴き出したのは楓士雄だった。
「マサキもヒロトも、おもしれーな!」
 面白いと言われ、広斗はまた顔をしかめる。雅貴とひとくくりにされるのが嫌なのか、パッと距離を取った。
「俺さ、キョーダイいないからお前らが羨ましい」
「それなら雅貴やるよ」
「ちょっと、広斗!?」
 冷たく言い放つ広斗に、慌てる雅貴。面白くて、楓士雄は歯を見せて笑う。
「どうせなら、二人とも兄ちゃんだといいな」
「はぁ!?」
 楓士雄の発言に、広斗はらしくない声を出してしまった。楓士雄という高校生が全く読めない。変に懐いてきたり、今にも殴りかかってきそうな気迫を出したり、ついには雅貴と広斗を兄にしたいと言い出したのだ。思えば最初からペースを乱されっぱなしだった。とんでもない奴に出会ってしまったと、広斗は嘆く。
「フジオが弟なら、広斗も少しは良い子になるかな? な、広斗」
「……ちっ」
 広斗と対照的に、雅貴は乗り気だ。雅貴ひとりでもうっとおしいのに、楓士雄まで加わったらどうなることか。一瞬想像して、広斗は寒気がした。
「そうだ、フジオバイクに乗ってみる?」
「――え、いいのか!?」
「一回乗ってみれば、何年かかっても金貯めたくなるって」
 そう言いながら、雅貴は自分のバイクに跨る。行くぞと促され、広斗もバイクに跨った。楓士雄は雅貴のバイクに近付いたのだが、「ストップ」と雅貴に止められる。
「俺の後ろは女性専用なので」
 雅貴の視線が広斗に注がれる。嫌な予感がして広斗は目を反らした。
「広斗、乗せてやれよ」
「……なんで俺が」
 広斗は小さな声で抗議するが、楓士雄はちゃっかりバイクに跨っているではないか。なんという素早さと図々しさ。よく言えば、大胆不敵。よろしく、なんて満面の笑みで言われたらもうやるしかない。広斗はハンドルを握り、エンジンをかけた。
「落ちるなよ」
「落ちねぇよ」
 また挑発的な態度だ。しかし、先ほどと違って小気味よい。先達した雅貴に続き、広斗もバイクを発進させた。
 あっという間に速度が上がり、楓士雄の髪がなびき出す。頬に当たる風が速度を物語っていた。エンジンを鳴らしながら、雅貴と広斗のバイクは道を駆ける。カーブが迫ると、大きく車体が傾きアスファルトで耳を擦りそうになった。雅貴の後ろをついていた広斗がスピードを上げ、二人のバイクが並走する。少しの間並んで走っていたが、今度は広斗が前に出た。
 広斗のバイクが雅貴のバイクを抜く時に、楓士雄は雅貴に笑いかけられた。「どうだ?」と聞かれたような気がして、「サイコーだよ」と楓士雄も笑う。最後の直線で一気にスピードが上がり、楓士雄は目を閉じそうになる。そこを堪えて前を見据えると、広斗の背中越しに世界が見えた。めまぐるしい速さで目に飛び込む、バイクから見た世界だ。
 ――すげぇ。
 楓士雄は誓った。今度は遮るものがなにもない状態でこの世界を見ようと。
 ツーリングはあっという間に終わり、楓士雄は広斗と出会った自販機前でバイクを降りた。興奮冷めやらぬといった様子の楓士雄に、雅貴が缶コーヒーを買って渡す。
「サンキュー」
「雅貴、俺の分も」
「広斗は自分で買いなさい」
 広斗は渋々ポケットから小銭を出して、自販機で缶コーヒーを買った。
「これ飲んだら行くぞ、雅貴」
「わかってるって」
 三人はそれぞれ手にした缶コーヒーを傾ける。その様子は、はたから見れば兄弟に見えたかもしれない。
 まず広斗が飲み終え、空き缶をゴミ箱に入れるとバイクに跨った。次いで雅貴も飲み干し、空き缶をゴミ箱に放る。楓士雄が飲み終えるのを待ってくれるわけではなさそうだ。各々のバイクに跨り、エンジンをかけた二人に楓士雄が言った。
「俺、めちゃくちゃバイトして金貯めるからな。金貯まったら、良い店教えてくれよ」
「オッケー」
「ったく、どれくらいかかることか」
 そう言う広斗の表情が和らいでいることに気付いた雅貴が、にやりと笑いかける。
「ニヤニヤすんな雅貴」
「はいはい。じゃ、行くか」
 雅貴は楓士雄に手を振ると、バイクを発進させた。広斗はちらりと楓士雄を見て、少しだけ口元を上げる。同じように楓士雄が笑い返したのを見ると、広斗も雅貴に続いた。
 二人の姿はみるみるうちに小さくなっていく。楓士雄は残っていたコーヒーを一気に飲んだ。飲み終えるまでのわずかな間に、雅貴と広斗はもう見えなくなっていた。楓士雄は空き缶をゴミ箱に入れて立ち去ろうとして、その脇に置いてあるコンビニのレジ袋に気付いた。忘れていた。バイクに乗せてもらうとき、邪魔だからとここに置いたのだ。慌てて袋の中を確かめると、幸いなことにバイク誌もフリーペーパーも無事だった。
「あっぶねぇー! 高かったからな、この雑誌」
 それから楓士雄は、持って帰ったフリーペーパーをもう一度読み返す。どれくらい時間がかかるかはわからないが、とりあえずアルバイトを始めるところからだ。ぺらぺらとページをめくっていくと、隣の山王地区の求人情報が目に入る。
「レジ、接客アルバイト募集……、ダンストア。こっちは緋野石油……、ああガソリンスタンドか」
 どちらも時給や時間帯は大差ない。いつの間にか楓士雄は、この二つのどちらにしようか考え始めていた。